Jポップと歌謡曲のスキマ

連続更新であります。気力充実の45才であります。若干チンコの立ちの悪いのが気になりますが、酒を飲まなきゃまだまだ行けます!って何の話?


ま、それとなくやる気を見せたところでさっそく行きますか。


前回、Jポップというのに詳しくないと書きましたけどね、僕は歌謡曲といいますか、所謂アイドルというのは昔から好きでありました。


古くは・・・っていつも古いですけどな、まぁ中学1年ではやはりピンクレディーですか・・・ミーちゃんのほうね。この年は1976年でありますから、彼女たちはデビューして1〜2年といったところでしょうか。


そういや、この年は映画の「オーメン」やら、猪木vsアリやら、つのだじろうの「うしろの百太郎」「恐怖新聞」やら、山上たつひこの「がきデカ」やら、角川映画の「犬神家の一族」やら、ベイシティローラーズ来日やら、ドリフの東村山音頭やら、テクニクスのオーディオのCMで薬師丸ひろ子がポスターやら、・・・って「やら」が多い!


まぁいろんなブームがあった記念碑的な年であった訳でありますが、長くなるのでもう止めます。


ほんで中学2〜3年くらいになりますと、原田真二やら世良正則やらcharやら・・・って「やら」がクドい!


当時の男性アイドルはほっといて、僕が好きだったのは木之内みどりでありました。可愛かったなぁ・・・。しかし現実は無残なものであります。あの後藤次利と逃避行して芸能界からいなくなったのであります! そんな殺生な!! この時のショックはイタイケな中学生の僕にとって計り知れないほどデカく、後の1983年6月2日アントニオ猪木ハルク・ホーガンにノックアウトされたIWGP勝戦を見るまでは胸に秘めていた一番の悲しい出来事でした。って結局は2番目かい!


そんな昔話はこの辺にして・・・正直、何を書いてるか分からなくなってきましたからな。そうそう、J-ポップの話でありました。はたして何時くらいからJ-ポップと言われるようになったのか? 皆さんご存知ですか? 便利な世の中になりましたな、ウィキに答えが載ってますぞ!


「J-POPという言葉はラジオ放送局J-WAVEから1988年末に誕生した造語である」だそうです。


時期的にビタリとはまるアイドルがいますな。デビューがポカリスエットのCMで糸井重里と共演していたあの娘であります。

このデビュー曲は18歳であります。まだプクっとして幼さの残る風貌ですが可愛いじゃござんせんか!
続いての曲で少しだけ大人になりました。

うーん、今見ると最近の女性アーティストと呼ばれている若手シンガーとは雲泥の差のルックスでございます。正確にいうとこの曲もまだ売れる前でありまして、世の中というか宅八郎に認識されたのは恐らく1989年に発表した南沙織のカバー曲「17歳」あたりからだと思われます。この後のミニスカートのコスプレ路線でも特に「ストレス」のウェイトレス姿が当時のキャバクラの制服とAV業界にまで多大な影響をおよぼしたことは明白であります。なんつっても僕も借りてましたからな。完璧に覚えております。とにかく20歳の森高千里であります。

まぁね、この後の活躍は皆さんご存知でしょうからね、もう止めますけど。
ちなみに僕のビデオラックにはマービン・ハグラーvsシュガー・レイ・レナードの横に森高千里の「古今東西」がひっそりと置いてあるのです。


今日はミニスカートの夢でも見ます。ほんじゃ。