鹿戸 雄一調教師

今日知った。
「ゆうゆ」こと鹿戸さんとこの馬が勝っていたとは。それもジャパンカップで。


僕がススキノで働いていた頃だから90年前後かな、当時の若手ジョッキーとともに面識があるのです。向こうが覚えてるかは疑問ですがね。 


Wikiから引用
《 騎手時代は面倒見がよく、美浦の若手騎手のリーダー格で、日本騎手クラブの副会長も務めていた。
騎手対抗サッカー大会や野球大会、レース終了後のオークションやイベントの司会、更にはとんねるずの番組などに武豊の付き添いで出演するなど、地味ではあるが騎乗以外で目立つ部分は多かった。釣りを趣味としている柴田善臣と似通った部分がある。また、兄弟子の蛯名信広加藤和宏の影響が強いとも考えられる。》


騎手としては当時からイマイチでしたからね。本人も上手く追えなかったレースのことなどニコニコしながら語ってくれましたが悔しかったと思います。連れて来ていた後輩はホント多かったですから、劉備玄徳なみの人徳者でした。


一緒につるんでいた後輩の横山典は90年メジロライアンでダービー一番人気。ライアンではダメだったけど、その年、キョウエイタップでG1初制覇。翌91年、ライアンで宝塚記念を勝ち、名実ともにトップジョッキーへ。


90年の宝塚記念、断然の一番人気、円熟のオグリキャップには岡潤一郎が騎乗(結果は2着)。
負けた後、飲んでる席で横典が「しょうがねーよ」と岡を慰めていたのが印象に残る。彼はダービーのライアン騎乗で相当マスコミに叩かれてましたから気持ちが分かっていたんでしょうな。 


同年の天皇賞・秋、一番人気はオグリキャップ、岡からの乗り代りの増沢であったが、勝ったのはレコードで名人岡部の乗るヤエノムテキ、2着には横典騎乗のメジロアルダン枠連で4−4、当たったので覚えてるもんね。


91年、高松厩舎の小野二郎とともに弱冠21歳の「鉄火巻き」をテツビマキと読んだ関西のホープ、デビュー3年目の角田晃一と出会う。その飲み屋でだけど。
その後、一緒にキャバクラ行ったりして角田の天然ぶりに驚く。支払いはもちろんジョッキー。
なんせ金ありますからなぁ彼らは。


そんな角田がシスタートウショウ桜花賞制覇!正直ビビる。けど、後で小野二郎から「幹夫さんの馬も強いけど俺が勝つ!」と言い切ってたという話を聞いた。
「何ーっ?そんなの早く言えよ!」とその時は思ったけど、ほとんどのジョッキーが今度のレースは俺が勝つというので全く信用ならないことに気づく。
騎手の話でなんか競馬は絶対当たりませんから!断言します!第一そこまで頭が回りませんよ(言い過ぎ)。


そうそう、このときは仲良くさせてもらってたのでね、もうツノダと呼び捨てにしてました。岡も有名になる前だったのでオカと呼んでたなぁ、横典は当時から名が売れていたのでノリちゃんと一応呼んでましたがね。


同じく91年、横典の同期、ミッキーこと松永幹夫イソノルーブルオークスを逃げ切り、涙のG1初制覇。ちなみに2着は角田のシスタートウショウ。ちなみのちなみに角田はこのレース前も「絶対勝つ!」と僕に言っていたがまたしても本気にしてなかったので馬券ははずれた。


この年のエリザベス女王杯リンデンリリー岡潤一郎G1初制覇!このとき岡からもらったテレフォンカードは今でも持ってます。その翌年くらいに岡とチーボー(千田騎手)が18歳の四位を連れてきたのかな。
まだ子供でオレンジジュース飲んでたような気がします。

岡の事故では皆が動揺してましたが、詳しくは書けません。本当に残念です。


ほんで武豊。彼のサインの一部を鹿戸さんが書いていたのは有名な話。ってマズイかなコレ(当たり前だけど普通は御本人がしています)。
彼は僕みたいな飲み屋のアンチャンにでも腰が低く「いい人」だった。全然偉そうにしないしね。
当時の横綱北勝海はえらい違いでした。ヤツは最悪。


とまぁ関係ないことも書いたけど、ほとんどのジョッキーを鹿戸さんが連れて来たようなものですからね。アムウェイで例えれば物凄い親ですよ。・・・って誉めてんのか。


良かった、良かった、本当におめでとうございます。
これからもひっそりと応援していきます。


有馬記念は久々に買いますか・・・