オヤジの中のオヤジ

こんちは! もう2月ですよ2月。ついこの前に年が明けたと思ったんですけどね、もう雪祭りの時期が近づいてまいりました。楽しみだ〜!なんて人がいるのか知りませんがね。滑り台に乗りたーい!なんて人もいるか知りませんがね。雪像の横で露出したーい!なんてイキな女も・・・ってそりゃいねーよ!


ともかく道には全然雪がないですからな、自衛隊の方々も大変でありましょうな。自衛隊と言えばね、先日ヘリコプターに宙吊りになった隊員を見ましたが、鼻血だけで無事に救助されたようでした。ま、焼き鳥屋でポン酒飲みながらニュース見てたんですけどね。やっぱ一人で飲むのは気楽でいいや!

しかし、たまには若い女性と二人でしっぽり飲むのに憧れるのであります。・・・ってどっちだよ!僕は水商売風の派手なスタイリングな女性が好みでありましてな。目がキリっとしている気の強そうな女を無理矢理こうやって・・・なんの話でしたかな?そうです、一人で飲むって話でしたね。


一人で週に何回も特定の飲み屋に通いだすとやっかいなのは「また来たよアノ人」という目で見られることでありますが、それが気にならなくなったならば山を越えたようなもの。悟りの境地。無我=藤波、んが=こまわりくん、て「ガ」しかあってませんでしたな。それはさておき、悟りといえば代々木忠チャネリングセックスを思い出しました。ってもういい!


最近は移動先の職場で飲み会が多いのであります。
誘われると断れない性格ってのも問題ですな。ついついマルチな洗剤や健康食品など買ってあげたりしてしまう危険性をはらんでおります。

昔の友人で蟹の甲羅のエキス、キトサンを関東にまで売りに行ったSなどは未だにその負債を返済しているそうな。一時は愛車がジャガーだったほど金回りが良かったんですがねぇ・・・、と書けば書くほど話が進みませんな。


まぁ話を戻すと、無理矢理女性を・・・ってそこかい! しつこいね俺も。女性論は今後のテーマとして話を戻しますとね、上司に誘われるってことは個人的には嫌われてないのでしょうから、人間関係上というか仕事をし易くする環境作りには役立ってるものの、体力的にはキツいのでありますよ。僕も40を半ば過ぎてるもんでしてな。白髪も増えてきてますしな。ちんぽのタチも悪いですしな。・・・オヤジの戯言ですからな、セクハラとは感じてもらいたくないものです。


話は強引に変わります。ミュージシャンズ・ミュージシャンという言葉がありますな。ミュージシャンが一目置いてるミュージシャンのことであります。


吾妻 光良であります。スウィンギンバッパーズの新譜のライブ聴きましたか?しーん。麻生あたりからしか返事はないでしょうがね、このオヤジは最高にカッチョいいのであります。
株式会社日テレ・テクニカル・リソーシズの代表取締役社長という顔も持つ人でもあります。ウィキから引用すると


来歴
1979年秋、早稲田大学で音楽サークル「ロッククライミング」に所属していた吾妻光良が、当時交流のあったモダンジャズ研究会のメンバーと共に、卒業記念の思い出づくりとしてビッグバンドのコンサートを企画したのが始まり。大学卒業と同時に解散のはずだったのだが、あまりの楽しさに味をしめ9か月後に再結成。以後不定期に活動を行うことになる。

1983年、デビュー作スウィング・バック・ウィズ・ザ・スウィンギン・バッパーズをリリース。収録曲は、全曲英語によるブルース、ジャズのカバー曲だった。収録曲の1曲キャブ・キャロウェイの"Que Pasa Chica"は日本語の歌詞でもレコーディングされ、"おいこらお嬢ちゃん"のタイトルでシングル盤としてリリースされた (アルバムCD化に際してボーナス・トラックとして追加収録)。

1988年、2枚目となるヘップキャッツ・ジャンプ・アゲインをリリースするが、このアルバムから"極楽パパ"、"ゴミの日来るまで"など、独特のユーモアに溢れた日本語によるオリジナル曲が登場するようになった。またアルトサックスの渡辺康蔵がこのアルバムでボーカル・デビューを果たしている。このアルバムのレコーディングのあとピアニストの堀江浩之介が脱退。後任として、ローラーコースターのピアニスト、早崎詩生が加入した。

1991年、大手のビクターへ移籍し、3枚目ストンピン&バウンシン をリリースした。前作より更に日本語の曲が増え、10曲中8曲が日本語で歌われている。最後に収録された"ほんじゃね"は、脱退した堀江浩之介に捧げられている。

ビクターへの移籍後もマイペースで活動し続け、ライブ活動は「年に四回くらい」と非常に少ないままであった。そして、次のアルバムの完成までには、11年という歳月が流れた。

2002年、久々の新作Squeezin' & Blowin'をリリース。"やっぱり肉を喰おう"、"刈り上げママ"など収録曲の多くは、アルバムのリリース以前に、既にライブでの定番レパートリーとなっていたものである。前者は「クジラもドンドンつかまえちゃお」という歌詞にビクターからクレームがつき、「ついでにお前も喰っちゃおう」と変更されてレコーディングされている[1]。このアルバムのリリース後、ライブ活動の頻度も上がり、地方公演も以前より多く組まれるようになった。

2006年、通算5枚目となるSeven & Bi-decadeをリリースする。このタイトルは結成後27年目という意味である。因みにビクターからリリースされた3枚のアルバムは、全て頭文字がSとBから成るタイトルが付いている。これは、スウィンギン・バッパーズの頭文字にかけたものである。

尚、このアルバムには、ライブで演奏されていて収録が期待されていた数曲の収録が見送られている。中でもカウント・ベイシー楽団の"Did You See Jackie Robinson Hit That Ball"に大相撲の取組の歌詞を乗せた"栃東の取組見たか"はライブでも盛り上がる抱腹絶倒の内容だが、原曲の権利者から使用に関する返事がなかったために収録ができなかった[2]。

2007年9月22日、23日と鶯谷の東京キネマクラブで単独ライブを決行。これはバンド史上初の2日間連続公演だった。このときの模様はレコーディングされ、2009年1月、ライブ盤Sweatin'Ballroom / Jumpin'At The Cuckoo Valleyとしてリリースになった。


特徴

リーダーの吾妻光良 (1956年2月29日生まれ)は、1977年からプレイヤーマガジンにてぶるーすギター高座の連載を開始し[3]、その後も各所でブルース分野に関する執筆を続けているこのジャンルを代表する評論家である。
ほぼ全員が普通のサラリーマンであり音楽活動に関してはアマチュアである。そのため仕事の都合で一部のメンバーが欠席し、代役を立ててライブを行うことも珍しくない(ただし吾妻・牧・岡地・早崎の4リズムに関しては、ほぼ固定)。


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関係ないですがエイオ・グレーシー死去のニュースは残念でした。